種田山頭火と大分の秋の紅葉


山を観るけふいちにちは笠をかぶらず

昭和5年11月15日
紅葉が見事なちょうどこの時期に、種田山頭火が大分の玖珠から耶馬渓を歩きいくつかの句を詠んでいる。

去年この同じ位置で深耶馬渓一目八景の紅葉を背景に同じカットを撮影しましたが、人形のボディが小さすぎてちんちくりんだったので 笑、三頭身を六頭身くらいに作り直して再挑戦。山頭火は好きでこれまで何体かデザインを変えて作ってみて、これが6代目くらい。まだ改良の余地があるなあ。


岩扇山といふはおもしろい姿だ。頂上の平べったい岩が扇を開いたやうな形をしてゐる、耶馬溪の風景のプロローグだ、私は奇勝とか奇岩とかいはれるものは好かないが、此の山は眺めて悪くない。
(昭和5年11月14日の山頭火の日記から)


旧久留島氏庭園


六郷満山総寺院であり国東半島の山上ほぼ中心に位置する両子寺の参道にて。


昭和4年(1929)の11月下旬。大分宇佐神宮を参拝の後、国東半島の天念寺や両子寺を訪ね、阿弥陀寺や安国寺に投宿したと伝えられており、いくつかのゆかりの場所に山頭火の句碑が建てられている。

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山頭火が紅葉真っ盛りの時期に大分を歩いていたのは、昭和5年だったのか、その前年の4年だったのか、昨年ネットで調べていてどうにも不確かだったのですが、どうやら<どちらも来ていた>が正解でした。それどころか最低でも5回は大分を訪れていたらしく。

昭和4年までの山頭火の日記はご本人が焼き捨ててしまっていたそうで、それで、検索で出てくる資料が5年のものばかりだったんですね。昭和4年の大分での行動は、俳人仲間らに宛てた手紙などがいくつか見られるようです。

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今年の紅葉では数か所回れた程度で取り逃した写真がたくさんあり、来年、再来年とまたカメラを持って山頭火の足跡を辿るのがとても楽しみです。


歩かない日はさみしい 飲まない日はさみしい 作らない日はさみしい ひとりでゐることはさみしいけれど、ひとりであるき、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない。
(昭和5年10月20日の山頭火の日記)

酒は年にほんの数回、軽く友人と飲る程度ですが、山頭火のこの言葉、ものを作る人間にとっては分かりすぎるくらいによく実感できますね。


走る水観音
両子寺七不思議のひとつとされ、古来から涸渇したことがない湧水といわれる。


こんな山水で まいまいがまうてゐる

阿弥陀寺(国東市国見町赤根)入り口にある句碑より。昭和4年11月、山頭火がここに投宿したという。人気はなく、現在は廃寺なのかもしれない。

昭和4年11月26日
宇佐神宮は尊いところでありました、〜 両子寺、天念寺、椿堂、どれも岩山の景勝を占めてをります、このあたりは小耶馬渓とでもいひたい山間であります
(豊後赤根にて荻原井泉水~おぎわらせいせんすい 俳人、俳論家~への書簡)

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