神武東遷 ねんど古事記 第9話(終)


天孫ニニギノミコトと、息子ホオリノミコト、その息子ウガヤフキアエズノミコトを「日向三代(ひむかさんだい)」といいます。

その次代のカムヤマトイハレビコノミコトは、都を中央に遷すことを決め、日向美々津の港をお船出しました。

奈良の橿原の宮で冒険の旅を終え、ヤマトの国を建国し、初代神武天皇となりました。

船出から7年目の事でした。

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第7話の「天孫降臨」を撮影に、宮崎県西都市の西都原古墳群を訪ねた帰り、日向市美々津港の「神武お船出の地」に寄りました。

前夜からほぼ徹夜で夜明け前には大分から西都原古墳に着いていたので、船着き場で昼寝休憩をしてロケハンだけして帰るつもりでしたが、何だかとても気持ちが惹かれて落ち着ける場所で、いくつかのカットを撮影させてもらいました。

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ロケ地・・立磐神社、美々津港 宮崎県日向市




日本海軍発祥の地、古代船おきよ丸

カムヤマトイハレビコ東遷のお船出の際、天候の変化で急遽夜明け前の出立となり、美々津の民は「起きよ、起きよ」と見送りのために皆を起こしてまわった。

「神武天皇(イハレビコ)お船出の地」を美々津で探すと「日本海軍発祥の地」と、大きな記念碑に刻まれていました。

神武天皇東遷の水軍が日本最初の海軍と定められてあるそうです。記念碑には古代船「おきよ丸」の意匠がありました。


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ロケ地・・日本海軍発祥の地


古代船のモニュメントがある「日本海軍発祥の地碑」。絶好の位置に桜が咲いています。

良い写真になる時は、一発でアングルが決まります。


記念碑の後ろ手には、立磐神社。イハレビコノミコトが航海の安全を祈願したと伝わり、イハレビコが腰かけたという「御腰掛岩」が御神体として祀られている。


境内の見事なご神木と巨岩。耳川の河口を望む、イハレビコノミコト。


ところで耳川といえば、もしや、大友宗麟の軍が薩摩軍に大敗し、大友家没落の引き金となったあの耳川ではないだろうか? 写真を撮り忘れましたが、ここから上流を見るといかにも合戦の舞台となりそうな河原が見える。

なんて場所で敗北してしまったのだ、大友軍・・。

とはいえ、ここはまた新緑のきれいな時期にでも、ぜひもう一度じっくりと時間をかけて撮影に伺いたい神話伝承地です。

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