神武東遷 ねんど古事記の9
「神武東遷」神話・・大分のお話になりました。
(※大分での1時間程度の講演ですので、神武東遷神話のうちの、大分での伝承のみをメインで取り上げています)
「高島と、カムヤマトイハレビコ」
「高島」は、大分市佐賀関の沖、豊予海峡に浮かぶ無人島です。神話の時代に、「高貴な方」が立ち寄られたという伝承がありまして、それで「高島」という島名になったといわれています。
その「高貴な方」とは、カムヤマトイハレビコ、・・日向の地から出立した、後の、神武天皇でした。
大分は結構、神話にゆかりが深いんですよ。古事記などに出てくるのは、大分市と、宇佐市などですね。
ここで、先ほどから登場の神様を一度、整理してみましょう。
天孫降臨のニニギノミコトから、山幸彦ホオリノミコト、そしてさっきのお話で誕生の、ウガヤフキアエズノミコト。
その、息子が、カムヤマトイハレビコノミコト、後の神武天皇です。
はい、ここでもうひとつ、動画をご覧になってください。
これ(スライドに映ったねんどタコ人形)、私、子供向けのねんどワークショップなどもやっていまして、(実物のねんど人形を持って)これですね。
・・動画は、2分30秒です。
(動画内容)
「早吸日女神社 宝剣タコ って、何?」
宝剣タコとは、大分に伝わる神話のひとつ。
カムヤマトイハレビコ(後の神武天皇)東遷の折に、
佐賀関の海底で、大ダコが
神剣を守っているのが見つかりました。
神剣は、イハレビコのさらに祖先の神・イザナキノミコトが
黄泉の国(死者の国)から戻り、「禊ぎ(みそぎ)」をされた際に
海に落とされたものでした(出雲神話「黄泉の国」より)
剣はイハレビコにより奉納され
早吸日女神社の御神体となりました
早吸日女神社では、タコはヤオヨロズノカミの眷属とされ
タコの絵を奉納して一定期間タコを食べずに願い事をすると
成就するといわれる、珍しい「蛸断ち祈願」が行われています
(動画終わり)
ええ、神武天皇が、イザナキノミコトの神剣を奉納して、それが、佐賀関の早吸日女神社の始まりとなったんですね。・・こうした、地域の伝承を調べますと面白いお話がたくさん見つかります。
こんな風に、子供たちにも分かりやすく伝わるように、色々と工夫しています。
カムヤマトイハレビコノミコト・・後の神武天皇ですが、大分でも色々と伝承がありまして、佐伯の方ですが、この(人形を指して)弓矢で地面をトントンと叩いたら、そこから水が湧いて出たお話があります。
その後、佐賀関を通ったんですね。
ほんの150年前まで、最も速い交通の手段は海・・「船」でしたから、大体あの、瀬戸内海が、今の高速道路みたいなものですね。ですから、海沿いに古い神話が残っているのは、自然な感じと思えます。
・・はい、それで、佐賀関の海底でタコが宝剣を守っていたのですが、これが、イザナキノミコトが禊ぎをされた時に落っことされた剣、ということで。
前回12月に講演させていただいた時はまだ知らなかったのですが、イザナキの禊ぎといいますと、宮崎県の阿波岐原(あわきのはら)というところに禊池というところがありまして、そこが禊を行った場所と、一般にいわれています。
これが何故、佐賀関にこんな伝承があるのだろうとずっと思っていましたが、日本書紀の方にですね、禊ぎは、はじめ鳴門海峡、そして豊予海峡で禊をしようとして、流れが早すぎるので諦めて、阿波岐原の池までいったと記述があるそうなんですね。
なので、海で禊をしようとしたのは、信憑性あると思います。あの、お葬式から家に帰った時など塩をまくのは、海の禊ぎの名残なんですね。
そうして、もう少し、大分の方の神話を説明させていただきますと〜〜
はい、シイネツヒコという神様。早吸日女神社の裏手・・佐賀関半島の反対側‥南側に、椎根津彦神社がありまして。
シイネツヒコ・・亀に乗って、釣りをしながら現れた翁の姿の神で、カムヤマトイハレビコの船団を、海の道を先導したという神様なんですよ。
「海部族」の祖、といわれておりまして、海の民のリーダー的役割の神様だったのだと思います。・・大分の、大在から坂ノ市、佐賀関、佐伯にかけて、以前は「海部郡」でしたね。
そしてですね、面白いことに、カムヤマトイハレビコが初代神武天皇となった翌年にですね、シイネツヒコが、初代の「倭国造(やまとこくぞう)」になっているんです。
つまり、日本建国の時の、最初のナンバー2が、大分佐賀関の神様だったんですね。
神話では「速吸いの門(はやすいのと)」から現れたということで、速吸いの門は豊予海峡または明石海峡の古称ともされていて、大分以外にもシイネツヒコ伝承はあるにはありますが・・。
ええまた、シイネツヒコはこんな風に亀に乗って翁の姿で現れたということから、浦島太郎伝承の原型のひとつ、ともされています。
そして、前回12月にはまだ人形がありませんでしたが、イサゴ・マサゴという海女姉妹の神様が、シイネツヒコの命を受け、海底の宝剣タコから剣を取り上げます。
イサゴ・マサゴも、佐賀関半島に「ビシャゴ浦姉妹岩」という岩がありまして、2つの岩にしめ縄が張られているんですが、そこなどに祀られています。
なので、前回よりも結構、人形が増えてきているんですよ(笑)。
ええ、宝剣タコがいたとされる場所は、この写真でいいますと、神武天皇の向こう側の岩の、ずっと向こうのあたり、右奥の高島の左やや手前くらいですか、暗礁だらけで昔から船の難破が絶えないいわくつきの場所でして、そこの「権現礁(ごんげんべい)」という地点です。
権現礁にはほら穴があり、そこは竜宮城につながっているという伝承も残っています。
こちら、早吸日女神社ですが、屋根に、亀に乗った浦島太郎や、竜宮城の鬼瓦があるんですね。
地域の伝承は、口頭伝承による物語などの他にも、こういった形で伝えられてきているんですね。
ということで、・・長くなりましたけれども、ここらで一区切りで、大分県と関係する神話伝承の物語解説を、終わらせていただきたいと思います。
どうも、ありがとうございました。