海幸彦・山幸彦神話と浦島太郎伝承と大分のシイネツヒコ ねんど古事記余話 大分編(5)


最も古い日本の昔ばなしともいわれる「浦島太郎伝承」。その原形のひとつは、ねんど古事記第8話・日向(ひむか)神話「海幸彦・山幸彦」の物語とされます。


大分市佐賀関「椎根津彦神社」のシイネツヒコも、日本神話物語で~

「速吸の門(はやすいのと)より亀に乗って、釣りをしながら現れた翁の姿の神」

~という事で、浦島太郎のキャラクター原形のひとつなのでしょう。

「潮満珠・潮干珠(しおみつたま・しおひるたま)」という、山幸彦が海神より授けられた同じ珠を、丹後半島・元伊勢 籠神社(もといせ このじんじゃ)にある椎根津彦の像が手に持っています。

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「丹後国一宮 元伊勢 籠神社(たんごいちのみや もといせ このじんじゃ)」

伊勢神宮に奉られる天照大神、豊受大神がこの地から伊勢に移されたという故事から<元伊勢>と呼ばれる古社。

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椎根津彦の像

元伊勢 籠神社主祭神「彦火明命(ひこほあかりのみこと)」の像。籠神社では別名「椎根津彦」「倭宿禰」。

宮司を務められる海部(あまべ)氏は、彦火明命から数えて83代目の子孫といいます。


「神武東遷」神話に纏わる大分市佐賀関の神話で、シイネツヒコの命により海女の神イサゴとマサゴが大ダコから神剣を得て、カムヤマトイハレビコがそれを佐賀関の地に奉納し「早吸日女神社(はやすひめじんじゃ)」が始まりました。

早吸日女神社本殿屋根には、現在「浦島太郎」と「竜宮城」の鬼瓦が鎮座しています。

イハレビコはシイネツヒコの案内で瀬戸内海を東上、やがて「ヤマト」を建国して神武天皇となり、翌年シイネツヒコは最初の「倭国造(やまとこくぞう)」となりました。

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大分市佐賀関を中心とした一帯から大分県の南部・臼杵市、津久見市、佐伯市にかけて、2005年まで「海部郡」でした。「海部族の祖」といわれるシイネツヒコが「ヤマト」の建国に際して「倭国造(神武天皇に次ぐ立ち位置)」となり、そのずっと後のご子孫が現在の「元伊勢 籠神社」宮司の海部氏なのでしょうか。

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現在からほんの150年前まで、最も速い交通の手段は「船」でした。瀬戸内海は日本の国の高速道路のようなものだったでしょう。

大分の方言~言葉遣いは、所謂九州弁とはまるで違い、広島や岡山、関西方面と似通っているようです。大分と、福岡北九州方面とは山で隔てられていたため、大分は「北九州文化圏」ではなく「瀬戸内海文化圏」であったのでしょう。

シイネツヒコとは、瀬戸内海一帯を仕切る海の民の大親分だったのではなかろうか? と空想しています。

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「浦島太郎」の伝承も今のところ知る限り、宮崎、大分、岡山、横浜、京都と日本各地の海と遠くない地域にあり、ねんど人形を持ってそれぞれ撮影取材に訪ねたいですね。

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