円谷英二監督 世界の怪獣王
本日7月7日は「ゴジラ」「ウルトラQ」「ウルトラマン」の、円谷英二監督の誕生日。
今年は円谷監督の生誕120年だったのだと知り、急遽、私のお宝本を引っ張り出してみました。
講談社「ぼくらマガジン」1970年(昭和)の10号(3月3日号)。表紙はさいとう・たかを「バロム・1」。
「ぼくらマガジン」は、少年マンガ誌が月刊誌から週刊誌へと移り変わっていった時期、月刊「ぼくら」が休刊して『少年マガジンの弟』として週刊「ぼくらマガジン」となりました。
「ぼくら」の看板マンガだった「タイガーマスク」の続きが読みたくて、創刊号から休刊まで購読してました。発刊は2年弱くらいでしたか、「ぼくらマガジン」も休刊して、人気の「タイガーマスク」「仮面ライダー」などの続きは「少年マガジン」へと移りました。
特集記事「円谷監督 世界の怪獣王」。
「ぼくらマガジン」のこの号は、実は1970年1月25日に亡くなられた円谷英二監督の追悼記事が掲載されていたんです。
「明治34年7月7日、福島県須賀川市に生まれた」
「アメリカ映画『キングコング』をみて、特撮に興味をもった」
「昭和29年、『ゴジラ』で世界の子どもをとりこにした」
「昭和38年、円谷プロをつくり、テレビ映画をつくった」
「昭和45年1月25日、心臓病でなくなった」
カットの長谷川法世氏とは、数年後に「博多っ子純情」を描かれたあの長谷川法世さんでしょうかね・・?
(各ページ毎にカットを描かれている方は違います)
ここのカットは「ウルフガイ」の坂口尚さん。
この時の私は8歳。子供時代に最初に憧れたヒーローが、旅立たれてしまった。
「子どもにゆめを」と書かれた、円谷監督のサイン。8歳の自分はこれを見て、自分も子供に夢を伝えられる仕事をすると決めました。
広告写真のカメラマンになりましたが、独立してから「ねんど人形写真」というオリジナル作品を創り出して、自分なりにこの時決めた続きを今でもやってます。
2017年に東京アーツ千代田 3331で作品展示会に参加させてもらい、その時に私のねんど人形「ヤマタノオロチ」の前で1時間もへばりついていてくれた1年生くらいの男の子がいて。
将来、私のようにものつくりの人になってくれると嬉しいなと思いながら、この「円谷監督のサイン」の「ぼくらマガジン」を思い出して、古本を探して50年近くぶりに入手しました。
先週封切りとなったハリウッド版「ゴジラvsコング」、近々また2回目を鑑賞にいこうかな。最新作を、円谷監督は天国でどうご覧になっていらっしゃるでしょうか。
現在制作中の、拙ねんど人形写真の新作「黒岳の怪物ヤカン太郎」。
「ご当地ウルトラQ」といった雰囲気の作品になりそうです。