熊野摩崖仏と鬼の石段 田染の荘/粘土人形日本昔ばなしの旅 大分県豊後高田市 動画
国東半島、田染の里の荘園、田染の荘(たしぶのしょう)。
743年の墾田永年私財法の成立により開墾された、宇佐神宮の荘園のひとつ。千数百年前~平安~鎌倉時代の集落や、水田の位置は現在もほとんど変わらずに、中世荘園村落の姿が受け継がれている。
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「豊後高田熊野摩崖仏と鬼の石段」の昔ばなし。3分23秒。動画は今年の撮影ですがスチル写真は2015年。ねんど人形日本昔ばなしの旅動画もこれで4本目、そろそろうまい具合に余分な力が抜けた編集になってきました。何事も経験を重ねて慣れるのが大事ですね。
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むかしむかしのお話。この田染の里に毛むくじゃらの赤鬼がやってきて、人間を食べるという。
それを聞いた熊野の権現さまは、何かよい方法はないかと考え、そして、いち夜のうちに百の石段をこしらえたら許してやろうと約束した。
権現さまは、とうていできるはずはないと思っていたが、なんと赤鬼は、ひょいひょいと石を担いで、あっというまに50段をこしらえた。その早いこと早いこと、見る見るうちに99段築いたのだった。
おどろいた権現さまは、100段目の石を担いだ赤鬼の足が山かげに見えたとき、「コケコッコー」とにわとりの鳴き声をまねした。赤鬼は、「負けたあ」と最後の石を担いだまま逃げ出していった。
熊野山たいぞう寺から、磨崖仏を通って熊野権現さままで続いている石段は、この赤鬼が築いた石段といわれ、今でも多くの人々に親しまれている。
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大分国東半島、豊後高田市にある熊野磨崖仏登り口の案内板に記された、鬼が築いた石段の伝承物語。同様の伝承は、日本中割と各地方でも見られますね。