九州・義の三武将
国宝臼杵石仏と、大友宗麟。
まとめサイトより、立花道雪と高橋紹運のお話をシェア。
日本史上、最も優れた将軍・軍事指揮官
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4990563.html
真っ先に立花道雪の名が出てきて、その後ほどなくして高橋紹運も。立花宗茂を加え、「九州・義の三武将」のお二方ですね。
大分では大友宗麟公と大友家について学べる機会がほぼないのですが、戦国ファンの方々の間では、義の三武将は全国レベルですと主君大友宗麟以上に名の通った武将の様です。敗れて没落した国の宿命とはいえ、故郷の英雄達の名を教えられていないのは如何なものか。非常に寂しいです。
ほんの数年前まで私も知りませんでしたし、神奈川大分県人会の、豊後大野(立花道雪生地)出身のおいちゃん達でさえそうでした。
なので、故郷大分の子供ちゃんらにも分かり易い様に、ねんど人形で楽しく可愛く、蘇らせてあげたいのですよね
大友宗麟については、これでもかと悪評がついて回るのが常ですが、資料の殆どは宗麟の没後、もう江戸時代に入ってから作られたものが主である模様です。ねんど人形を作る時には、そのキャラクターを掴む為に徹底的に調べ上げます。調べるうちに、次第にそれが分かり始めました。キリシタン大名の代表格だった事もあり、後世にネガティブキャンペーンなどもあったでしょう。何だか、戦後日本の姿とも被りますね。
キリシタン大名といえば、奴隷貿易にまつわるお話がたくさん出てきます。その中で「キリシタン大名の中でも大友宗麟だけは、奴隷貿易に手を出さなかった」という検証も目にしました。
そうと聞けば、昔むかしの方々(つまりご先祖様達ですよね)には、「敬意」と「好意」で接するのが、自分のモットーです。2030年は、宗麟生誕500年となります。誰にだって良いところもあれば、悪いところもあるのが人間です。500年もネガキャンされては、可哀想ではありませんか。
また、立花道雪は大分市の「鶴崎踊り」の発祥の元を作った人。国東市武蔵町の「吉弘楽」は、南北朝時代から続く高橋紹運の吉弘氏ゆかりの祭りです。九州時代は大分の祭りを100件近く撮影しましたが、これらの背景も知らなかったのはなんとも不覚です。
現在制作の、大友家ねんど人形は大友宗麟、立花道雪のお二方(&動物達)。高橋紹運にも、早いうちにねんどで蘇っていただきましょう。