大友宗麟、立花道雪 そろい踏み!


立花道雪ねんど人形が完成し、ついに大友宗麟とそろい踏みです。

今年の夏の里帰りで、緒方の原尻の滝、滞迫峡、朝地の普光寺磨崖仏など、大分奥豊後のジオパークを背景にロケ撮影するのが今から楽しみです。


雷神、立花道雪。

入道前の元の名は戸次鑑連(べっきあきつら)といい、大分奥豊後は現在の豊後大野市の出身。臼杵鑑速(うすきあきはや)や吉弘鑑理(よしひろあきまさ)と共に大友家の三宿老といわれる。また高橋紹運(たかはしじょううん)、立花宗茂(たちばなむねしげ)と共に、九州の義の三武将とも称えられる。

14歳の初陣から73歳で戦没するまで、大小37回の戦を指揮し、多くは少ない兵で大群相手に闘い全てに勝利。若い戦国ファンの間では、戸次姓をもじって「九州のベッキー」と呼ばれ親しまれており(笑)、全国レベルではある意味主君の大友宗麟よりも名が通っている。

道雪が45歳の時に落雷に遭い、その際雷神を切り伏せたという逸話がある。刀はその後「雷切(らいきり)」と呼ばれるが、道雪も足が不随となった。その後の戦は輿に乗って指揮するも、戦況の不利に味方がひるむと、自分を敵中に置いていくよう指示し、奮い立たせた。

・・これらの勇猛な伝承から、やがて「雷神」「鬼道雪」の異名を持った立花道雪ですが、現在でも理想の上司像として例えられている、人徳あるエピソードがたくさん見られます。写真をアップする時に、おいおいとまた紹介していきましょう。


豊後の覇者、大友宗麟。雷神、立花道雪。

豊後大分の、絵になる漢達。


大友宗麟


立花道雪