BVNGO大友物語 大友宗麟 立花道雪 ねんど日本昔ばなし 大分市


大友宗麟〜豊後の王

戦国時代にあっても、戦を好まず進取と開明の気概を持って海外の文化を積極的に学んだ、大友氏21代・大友宗麟。

西洋音楽や演劇などの文化、西洋式の病院、孤児院などが宗麟公により日本で初めて取り入れられた。

愛に満ちた平和の国「MUSICA(ムシカ)の国」の建設に、夢をはせた。

※「MUSICA(ムシカ)」とは、ラテン語で「音楽」の意味。

写真ロケ地/田ノ浦ビーチ 南蛮船カピタン号 大分市(以下同じ)

.


立花道雪(戸次鑑連)〜大友家の宿将
「鬼道雪」「雷神」と恐れられ戦場にて生涯37戦無敗の、大友家を支えた最強の武将。

強さと人望を備え、現代の戦国ファンの間で「上司にしたい武将ナンバーワン」と評される事も多い。

1560年から続く、大分市の夏の風物詩「鶴崎踊り」は、立花道雪が京から舞妓を招いて宗麟公に披露したのが始まりといわれる。

写真ロケ地/柞原八幡宮
立花道雪(戸次鑑連)の幼名は、八幡丸。なかなか子宝に恵まれなかった両親が柞原八幡宮に祈願した後に授かったことから、八幡宮にあやかり名づけられたといいます。

.
夏の終わり頃にもしかしたら大きめの展示会を大分市で開催できるかもしれず、これまでに撮りためた昔ばなしや豊後大分大友氏関連の、写真と物語解説など整理しています。

「ねんど日本昔ばなし」写真絵本の出版を目指していますが、遠出しづらいご時世ですので、まずは地元の大分県内〜大友氏関連の作品が増え「ねんど 大分と日本の昔ばなし」を作っていこうと思います。

.
大分市子ども風土記3「BVNGO大友物語」リーフレット。2019年。


2019年 大分市地域おこし協力隊でやり残した最後の仕事として制作した、ねんど人形写真。

大友氏館跡庭園や、J:COMホルトホール大分2Fロビーなどで配布されています。旅行などでお立ち寄りの際は、どうぞお持ち帰りください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください