BVNGO大友小芝居 第2話「懊悩」
次回第3話「鶴崎踊り」、第4話「ザビエル」は、また来週。少しずつ内容のあほ度がアップしていきますので、お楽しみに。
(※)1コマ目の注の解説
豊後大友氏は大友宗麟の没後、息子義統(よしむね)の代に豊臣秀吉により改易とされた。
改易後は「小藩分立制」の統治となり、現在の大分市の範囲内だけでも熊本藩・延岡藩ら七つの藩により20もの地域に分けて治められた。藩が違えば結婚も難しい世の中であり、歩いて行ける狭い範囲で「他所の国」になってしまう大分は広い範囲で仲間意識を持つことが容易でないという、小藩分立制の後遺症を持つ県民性となった。
このため割と多くの大分県民にとって「昔に滅び去った他所の藩の殿さま」である大友宗麟公についても、例えば2014年に刊行された辻野功著「親子で読む 大分偉人伝」を読むと、〜〜
『バテレンと宗麟の時代』という優れた著書のある故加藤知広・大分大学教授は、エッセイ集『南蛮船の見える町』の中で「大友宗麟を寄ってたかってくささないと知識人でないとする」大分の風潮を厳しく批判されました。
〜〜とある。
学生時代を熊本で過ごし、最近まで15年近く横浜にいて4年前に故郷の大分に帰ってきた自分は、大分の弱点はいつもここなのだなあ・・と改めて思うようになり、この後遺症から大分を解放させてあげられないものだろうか? と思うようになったんです。
・・なるべくお気楽であほな感じで人形写真やお笑いマンガにしてみたいですが、背景を解説するとやはり重くなってしまうのはしょうがないかなあ。なかなか難しいところです。