大友稲荷を訪ねる 豊後大友氏館跡 鎌倉 神奈川


2020年7月18日(土)。4年ぶりの横浜。「大友稲荷」と呼ばれる、豊後大友氏初代能直公の館跡が鎌倉にあるそうだ。横須賀線で鎌倉へ。


保土ヶ谷を通過。2016年まで14年半、ここに住んでいた。


鎌倉着。


扇ガ谷方面を目指す。鎌倉と北鎌倉の中間ほど。鶴岡八幡宮から小山ひとつ隔てた、線路側のあたり。


神奈川大分県人会の先先々代会長(以下元会長)さんが、現地を案内してくださった。


ショップが並ぶにぎやかな通りを抜けて左に折れ、線路側までいくと、「扇ヶ谷上杉管領屋敷跡碑」があった。


線路沿いを流れる、扇川。鎌倉時代にはすでにあった川だそうだ。


大友稲荷。いくつかの路地に入り込んだ、小山の腹にある。駅からはちょうど1キロほど。


石段を上る。ほんの2、3階の高さだが、持っていた荷物が重すぎてかなり辛い状態に・・。


チャンスがあれば、拙ねんど作品の大友宗麟公や立花道雪人形と記念撮影がしたくて、カメラや三脚、撮影道具一式を抱えていた。


リュック、ポーチ、アルミケース、三脚2本・・そして傘。


雨で、荷物を置いて一旦休憩などができないため、とても辛い(笑)。


ついに大友稲荷にたどり着いた・・!


とりあえず今回は本格写真を諦め、かろうじてスマホで動画撮影・・


もうひとつ、大事な用がある・・


神奈川大分県人会前会長・・


体調を崩されて療養中の前会長(豊の国特命かぼす大使)から言付かった品があるのだ・・


荷物をかさごそやっていると、元会長がカサを持ってくださった。よかった、これで、両手が使える(笑)。


前会長から言付かった、カップ酒をお供え・・


頑張れ! がんばれ! 大分トリニータ、のお酒。


前会長。使命を果たしましたよ。


さて石段を降りよう・・

なかなか立ち上がれない(笑)。


また来ます。


この小山一帯が、大友屋敷だったらしい。


途中、山の中腹にほら穴がちらほら目立つ。古代からあったほら穴だそう。


扇川沿いから大友屋敷跡方面を振り返る。小山の向こうが鶴岡八幡宮。さらに向こうが、鎌倉幕府のあった場所。小山を越えて通勤していたらしい。


鶴岡八幡宮。


ご祭神は応神天皇、比売神、神功皇后。


待ってくれている元会長。荷物が重すぎて追いつけない・・(笑)。


今回は参拝の余裕がなく、ここからお参りして、右に折れて幕府跡地へ。


鶴岡八幡を抜けて、小学校のある場所。


この一帯が、鎌倉幕府があった場所だそうだ。


この後は、小田原に向かい、仲間と合流して小田原大友地区の、大友氏ゆかりの地を訪ねる予定。

鎌倉駅までまた1キロ弱歩くが、肩と足腰が重さで悲鳴を上げておりとにかく辛い・・。電車に乗り、大船で元会長さんとお別れ。元会長、数年ぶりにお会いしてお世話になりまして、どうもありがとうございました。前会長、無事に使命を終えました。

さて東海道線で小田原へ。乗客も少なく、1時間ほど荷物を降ろして車窓から景色を眺めながらの休憩時間は至福の時でした(笑)。


(※)なお、大友稲荷は個人宅敷地内につき、通常の公開はされておりません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください