イザナキノミコトとみそぎ池の睡蓮 宮崎市
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宮崎市、阿波岐原森林公園にある「みそぎ池」。
記紀神話「黄泉の国」で、妻イザナミと別れ死者の国から地上に戻ったイザナキが「禊ぎ」を行ったのがこの「みそぎ池」といわれています。
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禊ぎで体を洗い穢れを祓うイザナキから、数十柱の八百万の神々が生まれ(神々なので、生まれるの概念が人とは違います)、最後に左目を洗うとアマテラスが、右目を洗うとツクヨミが生まれ、鼻を洗うとスサノオが生まれました。
この三柱の神々を、最も尊い神「三貴子(さんきし、みはしらのうずのみこ)」といいます。
アマテラスとツクヨミのねんど人形はまだ作っていないので、来年また新作人形を持って撮影にチャレンジしましょう。
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みそぎ池では、初夏から夏の終わりにかけて数千本もの睡蓮が花を咲かせます。
黄色い「セントルイス」という品種だそうで、あらかじめネットで調べると、早朝から午前中にかけて咲き、午後にはしぼんでしまうということで、まだ梅雨入り前だった先々週、ぎりぎりまで天気予報を見て、大分を深夜2時過ぎに出発し、朝の6時にはみそぎ池に到着。
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でもその時間にはまだ花はつぼみでしかなく、朝日が直接当たり始めた8時過ぎから8時半にかけてようやく満開に・・。
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こちらは2012年、古事記編纂1300年「神話博しまね」出展作品のねんど人形写真「黄泉の国」。島根県松江市の黄泉比良坂で、イザナキとイザナミの別れのシーン。
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あれから神話人形を全て新しく作り直しました。現在の人形の方が、若干スタイルが良くなっているかも。
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「黄泉の国」は出雲神話の物語で、みそぎ池のあるここ宮崎は、高千穂神話の里。「禊ぎ」から「三貴子誕生」の後、高千穂神話「天の岩戸開き」へと続き、そしてまた出雲神話「ヤマタノオロチ」の物語となります。
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さてこちらは、私の地元大分市の、佐賀関から瀬戸内海の入り口、豊予海峡を臨む。左奥に見えるのは愛媛県の佐田岬。
右側は佐賀関の無人島「高島」で、神話の時代に「高貴な方」が立ち寄ったので「高島」と呼ばれるようになったといいます。
高貴な方は、若き日の神武天皇=カムヤマトイハレビコ。佐賀関の海底で大ダコが守っていた宝剣が、「イザナキノミコトが禊ぎの際に落とされた剣」だったことで、これをイハレビコが奉納したのが、佐賀関早吸日女(はやすひめ)神社の始まりとされています。
出雲が舞台の「黄泉の国」からイザナキが地上に戻り、禊ぎを行ったの場所が、なぜかいきなり遠く離れた九州高千穂宮崎。 そしてまた、その禊ぎの際に落としたとされる神剣がどうして豊後大分佐賀関に伝わっていたのでしょう?
・・しばらく謎でしたが、なんでも日本書紀で「初め禊ぎを鳴門海峡で、次に豊予海峡で行おうとして、潮の流れが速すぎたので、そこでは諦めて宮崎にたどり着いた」とあるそうで。なんとなく辻褄が合ってしまいました(笑)。
神話の時代に、出雲と九州と、瀬戸内海とで、八百万の神々の往来と交流が盛んだったのでしょうかね。