鬼の石段 大分豊後高田
むかしむかしのお話。この田染の里に毛むくじゃらの赤鬼がやってきて、人間を食べるという。
それを聞いた熊野の権現さまは、何かよい方法はないかと考え、そして、いち夜のうちに百の石段をこしらえたら許してやろうと約束した。
権現さまは、とうていできるはずはないと思っていたが、なんと赤鬼は、ひょいひょいと石を担いで、あっというまに50段をこしらえた。その早いこと早いこと、見る見るうちに99段築いたのだった。
おどろいた権現さまは、100段目の石を担いだ赤鬼の足が山かげに見えたとき、「コケコッコー」とにわとりの鳴き声をまねした。赤鬼は、「負けたあ」と最後の石を担いだまま逃げ出していった。
熊野山たいぞう寺から、磨崖仏を通って熊野権現さままで続いている石段は、この赤鬼が築いた石段といわれ、今でも多くの人々に親しまれている。
大分国東半島、豊後高田市にある熊野磨崖仏登り口の案内板に記された、鬼が築いた石段の伝承物語です。同様の伝承は、日本中割と各地方でも見られますね。
私の故郷大分県の鬼の石段のお話は、以前にもねんど人形写真で発表しましたが、鬼っ子人形をリニューアルして、新しく撮影しました。鬼は好きなので、ちょくちょく新しく作り直しています。追って写真を更新していきますが、前回と比べて少しは雰囲気が変わったでしょうか?
豊後高田市の天念寺修正鬼会
磨崖仏の鬼の石段の昔話では悪者だった赤鬼ですが、大分県国東地方に伝わる「鬼会(おにえ)」という行事では、鬼は人間の先祖であるとされ、鬼に会う事は目出度い事とされている、と聞きました。「鬼を追い払う」のではなく、「鬼に姿を変えた仏を出迎える」という平安朝以来の珍しい考えのもとに行われる、とも解説されています。
毎年旧正月7日他、豊後高田市の天念寺、国東市の岩戸寺、成沸寺で鬼会は開かれ、1300年の歴史を持つ天念寺の鬼会は国指定重要無形民俗文化財となっています。
民俗芸能写真のページ 天然寺修正鬼会
http://folk-entertainment.sblo.jp/article/1792702.html
国家安泰、五穀成就、無病延命を祈願する法会等の後、鈴鬼(男女)の舞が荒鬼を呼び込みます。赤鬼と黒鬼の荒鬼は松明を振り回す演舞、そして見物客を屈ませ松明で肩や背中を叩いて回ります。これが1年間の無病息災に繋がるといいます。
別府の地獄温泉といい、やたら鬼と縁が深い我が故郷、大分県です。