人形芝居 東海道中膝栗毛 頁2
喜「あわわわわ・・・
そんならここは、墓場か・・・・
気味の悪い事だ。
なんだか首筋がぞくぞくするようだ。
ええ、こりゃまた折り悪く雨じゃ。
いまいましい。と」
つぶやき、つぶやき
荷物をほどいて取りいだし
身の毛も立ってぼろぼろと
降り出す雨の足下も
ちょこちょこちょこと小坊主が
なりにも合わぬばっちょ笠
徳利片手に歩み来る。
それと見るより喜太八が
そりゃこそ出たわ化け物じゃ
弥次さん油断はせまいぞと
ぶるぶる震える弥次郎兵
しょぼしょぼ雨の薄暗がり
徳利さげたる小坊主め
ぶちのめしてぞ化けの皮
現しくれんと幸いありおう天秤棒
腕にまかせてぶちのめせば
子「あ痛あ、あ痛あ
ととやあ、ととやあ
誰かひどい目に合わせるやあ」
言う声聞きつけ駆け来る親父
このてい見るより
弥次が胸ぐらしっかと取り
親「やい、この倅になにとがあって
ひどい目に合わせた。さあ、有り様
にぬかせ。と」
せちがえば
喜太八見るよりこりゃたまらぬ
許せ、許せといっさんに
後ろも見ずして逃げて行く
やあーい、喜太八やい
俺を残して逃げるとは
弥「胴欲じゃ、胴欲じゃ・・・
申し、申し、
お前様の御子供とは存じませず
ただ、化け物じゃと思いまして
打ち打擲をいたしましたは
不行き届きな粗相
まっぴら御免下さりませ」
親「いやいや聞かぬ聞かぬ
せっかく買いにやった五合の酒
しずくも残さずこぼしてしまい
小さい者をむごたらしゅう
ひどい目に合わせやがって」
ぐっとしめれば
弥「あああ・・・申し申し・・・
それでは喉の仏が台無しになる・・
もう少しゆるめて下さりませ
えーー
五合の酒がこぼれましたは
言語道断(ごんごうどうだん)
お気の毒に存じます
代は私が出しますから
一生(一升)のお願い
堪忍しょう( 二升) と仰って下さりま
せ・・・・・・・
きっとお礼には参上( 三升) いたしま
すから
子細(四升)言わずと御了見
後生(五升)でござります。」
親「えい、このやろう、しゃれ所か」
弥「ああ、ああ、しまった、しまった。
お腹立ちはごもっとも
養生代には膏薬代を出しますから
どうぞ許して下さりませ。」
親「うむ、そんなら許してやろう。
さあ、金出せ。」
弥「はい、いくら出しましょうな。」
親「おお、命代わりには安けれど
十両に負けてやる。」
弥「ええ、とんだことを仰います。
十六文の膏薬、百回つけても一分にあま
る。どうぞ、二分に負けてくださりませ。」
親いや、ならぬ、ならぬ。」
弥「二分がならざあ、三分・・・・」
親「いや、ならぬ、ならぬ。」
弥「そんなら四分」
親「ええい、ならぬわい」
弥「それじゃあ、おまえさん
できねえ相談だね。
言い値じゃ高い。ちと負けねえかい。」
親「そんなら一両負けて九両(くりょう)か」
弥「一両負けてくりょう(九両)とは
まあ、うまく洒落やがった。
しかし、間男代でも七両二分はあた
りまえ。ええ、そんならしらざあ
半分さね。どうぞ、それで御了見。」
親「むう、五両に負けか。
五両なら安いもんじゃが、
負けてやる。
さあ、金よこせ。」
弥「えっ、現金か。」
親「知れたことだあ」
弥「はいはいはいはい・・
ただ今勘定いたします。
ええ、こうと
私が喉の苦しみが
締め上げられて四苦八苦
四九、三十六文と
八九、七両二分と
五両の金を差し引いて
三両と六文
お前の方からお釣りを下さりませ。」
親「ええ、様々なたわけ事
もう了見ならぬわい。」
弥「はあ、しまった、しまった。
金は胴巻きに入れて腹にまいてござります。」
親「うむ、そんならこれか。」
弥「ううう・・そりゃ、シラミ紐、シラミ紐」
親「そんならこれか。」
弥「あああ・・くすぐったい、くすぐったい。」
親「これか?」
弥「いやあははは・・
そりゃ、ふんどしでござります。
その中に青差しが一本と
その下の方に金貨がふたつ
皮のきんちゃくにかたアーく
包んでござります。」
親「ええい、いまいましいべらぼうめ。
そんなら、いっそこのきんちゃくを、
と」
力にまかせてひっつかみ。
グッと絞めれば
弥「アイタタタ・・・・
死ぬわい、死ぬわい・・・」
うーんと、そのまま息絶えたり
さすがの親父もびっくりし
南無さん死んだかこれさいわいと
弥次郎兵衛が帯ぐるぐるぐるぐるぐると
すっぽり剥いだる丸裸
墓所の方よりとっかわと
経帷子に角帽子
手早に着せて
親「さあ、これでちと、腹がえた。
膏薬代のその代わり
と」
着物と荷物をひっさらえ
千代松来いよと手を引いて
足早にこそ立ち帰る。
次第に吹き来る夜嵐に
連れて吹き来る雨の音
遠山寺の鐘の音や
いと、物寂しき並木の陰
松の滴か潤いの
ぞっと身にしむ弥次郎兵衛
息吹き返し起きあがり
あたり見回し、見回し
弥「をを・・寒い、寒い、寒い。
ここはまあ、どこか知らんて
俺はまあ、いったいどうしたのじゃ。
ええ、・・こうこうと
おいの宿を出たわ
狐の真似をしたわ
それから小僧をぶったわ
喜太八は逃げたわ
そこで、金を絞め上げられて
それから後はとんと夢中で
なんにも覚えておらぬが
こいつあ、夢か知らんて
おお・・寒い、寒い。
いやいや、向こうに卵塔場が見えるわ
してみりゃ、夢ではないわい。」
どうした事じゃと、なでまわし
弥「おお、俺が着てるわ経帷子だ。
額にごま塩袋があててある。
ヤヤヤヤ、そんなら、俺は死んだのか。
アアアア、悲しや悲しや・・・
さては、金を締め上げられて死んだのか
ああ、情けない。そんならここは、
冥土の道かあ。ああ、浅ましい。
心細い身になった。
ああ、こういう事なら、嬶にも
とっくり暇乞いしておこうものを・・
こんなに早よう死んだとは、
知らなんだ、知らなんだ、知らなんだわ
いのう。
冥土の道は暗いと聞いたが
ほんにこりゃ、真っ暗がりだ。
どうぞ、極楽に行きたいものだが
十万億土とやらは、たいていでは
行かれまい。
ああ、心細い、心細い・・・」
こうなることとは露知らず
さぞや後にて女房が
今日はご無事の便りもあるか
明日は使いの言の葉に
日を数えて
指折り待ち焦がれたる甲斐もなや
死んだと言うこと聞いたなら
さぞや悲しかろう口惜しかろ
会いたかったであろうのに
何故に会わしてはくださんせぬ
魂魄あの世に帰るなら
今一度嬶の顔見たや
それまでもなく今ここで
俺が死んだらこうへんに(?)に
さぞや一九(?)が困るであろ
それも悲しい女房可愛し
心一つを二道に
冥土の闇に迷うたとは
なんの因果ぞ情けない。
どうぞ今一度生き返り
嬶と閨の添い伏しが
弥「したいわい、したいわい、
ああ、したいわいなあ
と」
身をもだえすすり上げたる水ぱなと
涙と涎がひとときに
落ちて流れる三世川
末はみなぎる風情なり
又もかすかにごうごうと
遠山寺の鐘の音や
耳に入りしが弥次郎兵衛
よいうようと心付き
弥「ああ、迷うたり、迷うたり。
あの鐘は確かにお寺
極楽浄土の導き頼み
お十念でも授かろう」
おお、そうじゃそうじゃと立ち上がり
鐘なる方を標にて
辿り行くこそ儚けれ
文章:薩摩派説経節人形浄瑠璃「東海道中膝栗毛 赤坂並木の段」(八王子市郷土資料館収蔵。床本:平成13年、三代目薩摩都太夫)より。
薩摩派説経節人形浄瑠璃「東海道中膝栗毛 赤坂並木の段」(八王子市郷土資料館収蔵。床本:平成13年、三代目薩摩都太夫)では、前頁でこの場面は終わりとなりますが、奥多摩「川野の車人形」では、もう少し続きがありました。
通りすがりの男が現れ・・。
なんと、こんなところに行き倒れか・・?
もしもし。背中をちょんちょん。
むくり。あれっ? 死んでなかった。気がついた弥次さん。
おあとが宜しいようで。
写真:「東海道中膝栗毛 赤坂並木の段」、奥多摩の伝統行事「川野の車人形」より。
十返舎一九「東海道中膝栗毛 赤坂並木の段」
終
3月11日より続く東日本大震災により、被害に遭われた皆様に、心よりのお見舞いを申し上げます。
また被災地において、災害対策に命懸けで全力を尽くしていらっしゃる皆様に、敬意と感謝の意を表します。一日も早い復興を、心よりお祈り申し上げます。
連日の報道映像で、日本三景のひとつに数えられる、松島の悲惨な情景を見、深い喪失感を覚えました。…それまで津波の映像を呆然と眺めているだけでしたが、その時、まるで自分の身体の一部を損傷してしまったような・・。
日本の伝統行事をこれまでに百件近くも写真撮影し、日本大好きカメラマンを自負している自分ですから、津波に飲み込まれた地域にも、数百年~千年以上も続く祭りや伝統行事~人の営み~があったのだなと、松島を見た時に想像し、我に帰りました。大好きな故郷=日本の一部が失われてしまった。
こんな時、一介のカメラマンに何かが出来るのだろうかなどと大層な事は考えませんが、改めて、大好きな日本を写し撮り、残していこう。次の世代に伝えていこう・・と思い直しました。いつも通り、撮って、伝えて、残す。それだけです、やる事も、やれる事も・・。
頑張れ、日本! 頑張れ!!
いつものように日本の伝統行事を伝えていきます。江戸時代より伝わる、日本最初の大衆作家、十返舎一九の大ヒット滑稽本「東海道中膝栗毛 赤坂並木の段」。日本人ならご存知の、弥次さん喜多さんの珍道中。笑って楽しんで頂けたなら幸いです。