川野の車人形


千葉佐倉領の名主であった浅倉当吾は、村々のの難儀を救う為に将軍家への直訴を決意した。直訴は死罪とされる。家族に難が及ばぬよう女房みねと離縁し、息子の籐太郎、国松とも今生の別れをする、「子別れの段」。


手前はたぶん、采女之助という登場人物。名前と写真は格好良いのだけれど、何をする役なのだっけ。出番は確か少しだった・・。撮影してると絵に集中しているので、細かい部分とか覚えられません(笑)。


「東山浅倉草紙 当吾子別れの段」は、千葉の佐倉義民伝に実在の木内惣五郎の直訴を題材にした、説経節。

千葉佐倉領の名主であった浅倉当吾は、重い税に苦しむ284ヶ村の難儀を救う為に将軍家への直訴を決意した。直訴は死罪とされる。「子別れの段」は、村に帰った当吾が家族に難が及ばぬよう妻と離縁し、家族と今生の別れをする場面。

佐倉(木内)惣五郎の直訴は、江戸時代の代表的な直訴事件。史実では直訴は将軍家綱に届き、農民の生活は何年もかけて徐々に改善される事となった。惣五郎夫妻は磔となり、惣五郎の子供達も打首とされた。

斎藤 隆介の児童向け民話「ベロ出しチョンマ」の長松(チョンマ)は、惣五郎の長男籐太郎をモデルに創作されたものだそうです。


車人形は、複数の人形遣いで一体の人形を操る他の人形浄瑠璃(文楽は三人遣い)と異なり、ロクロ車を仕掛けた箱車に腰を下ろし、一人遣いで両手で人形の首と手を、両足で足の動きを演じる。


3月5日は、奥多摩におよそ150年受け継がれている伝統行事「川野の車人形」でした(人形のカシラは更にその100年前の別系統の人形浄瑠璃のもの)。年寄りの浄瑠璃に合わせ、「東山浅倉草子 当吾子別れの段」を演ずるのは地元の小学校の子供達。本格デビュー前のお披露目の意味で、黒子の覆面を被っていません。

伝統を継承していく事は、素晴らしいね。こういうのはライフワークで写真撮影していきたい。


「重々の不届き者、これでも喰らえ~」
「ええっ、そ、その馬糞を私に~~・・」(※台詞は正確なものではありません)

弥次郎兵と喜太八の軽妙珍妙なやり取りが楽しい。ドリフのコントのようです(笑)。

3月5日、川野の車人形公演の大喜利は、車人形保存会による、十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」から、「赤坂並木の段」。


人形芝居 東海道中膝栗毛 頁1

人形芝居 東海道中膝栗毛 頁2