石見神楽 道返し(鬼返し)


石見神楽 道返し(鬼返し) ちがえし(きがえし)

常陸の国の鹿島の宮に住む武甕槌命(たけみかづちのみこと)は、異国より攻めてきた悪鬼と戦います。命(みこと)と闘った後に悪鬼は降参し、九州の高千穂地方へ行き農業をするように命令されます。石見神楽では珍しく、鬼が許され国土が平穏になるという神楽です。

(神話博しまね しまね魅力発信ステージ郷土芸能舞台リーフレットより)

2012.08.18(土)


人を喰らい世界を股にかけて荒れ狂う悪鬼。

悪鬼は観客席から暴れこんで登場なのですが、所用が終わっていそいそと観に来た時には、そこはもう終わりでした。またじっくり観たいなあ。


荒れ狂う悪鬼を退治に、 常陸の国より武甕槌命(たけみかつちのみこと)の参上。


悪鬼を懲らしめる、武神タケミカヅチ。


「人を喰らわず、九州高千穂の稲を食すように」

タケミカヅチの命により、鬼は降参して高千穂で農業に従事する事となる。鬼が討ち取られずに道の途中で返されるという、他の演目にはない結末だそうです。


タケミカヅチと鬼と、衣装の絢爛さにも目を奪われます。


前回7月の出雲行で、十数年来の憧れだった島根のお神楽を撮影出来たのですが、そして今回はついに、中でも名高い石見神楽を短い時間ですがカメラに収める事が出来ました。

石見神楽には長い間の思い入れがありました。’96年から2000年まで、地元大分県庄内神楽カレンダーの写真撮影を担当していましたが、その時に神楽座の皆さんが持ってきて、こんな風に写真を写してくれ・・といつもいわれていたのが石見神楽のカレンダーでした。

石見神楽の豪華絢爛な衣装が目を引き、同じように撮影は無理とひと目で分かりました。どちらかというと歴史も浅い地元の神楽でしたので、衣装を着けて同じ様に並んで立ったとしたら、方や国宝級とも思える絢爛さの石見神楽の衣装の前にはとても太刀打ちできない。

また石見神楽カレンダーにある各々の神楽写真を見ると、各々の演目に物語性が見られるのが分かりました。面をつけた無言劇の様相というより、対して庄内神楽は舞いそのものを見せるお神楽です。「大蛇退治」「岩戸開き」などの演目には神話物語の場面も観られますが、庄内神楽の多くの場面は激しく舞っている場面であり、神話の物語性を見て取るには中々に難しいものです。

なので、余りにも絢爛な衣装を纏っての風格と物語性のあるポーズ写真である石見神楽の写真と、同じ土俵で写真にしたのでは歯が立たず勝負にならない。

ならばどうするか? こちらは庄内神楽の激しい舞の迫力そのものを絵にしよう。ただし、この神楽舞を(俺がこう撮る!)ではなくて、この神楽舞は(どう撮られたがっているのか?)を見つけよう・・と思いました。

お神楽撮影本番の始まる1ヶ月少し前から、毎日何時間もひたすら庄内神楽のビデオを見続け、この舞は、ここだ! という場面が見えたら、絵コンテを一演目につき3つほど描きとめました。カレンダー1年分12演目の絵コンテが出来上がらない内はプレッシャーが酷く、5年間の内、夜中に夢を見て泣いて目を覚ましたのが3度もありました(笑)。私の青春でしたね。

文化の日の庄内神楽祭りから、カレンダーの販売開始。2千部刷ったお神楽カレンダーは、お陰さまで2日間でほぼ完売するようになりました。その頃の地方の広告カメラマンの世界にはまだ徒弟制度が残っており、若手はベテランの先輩カメラマンさん達にまともに声をかけてもらえるのも難しい面もありましたが、3年目のお神楽カレンダーが出て、「見たよ。年々良くなりよるなぁー(大分弁)」「俺はお神楽の写真でなべちゃん認めた」と、地元広告写真をリードされるお二方よりお言葉頂戴しました。青春ですねえ・・。